栗の思考整理録

インプットしたことに脚色をつけてアウトプットします

モノを買ってコトを消費した話

モノを買ってコトを消費した

コト消費が消費行動の”新参者”でなくなって久しい。市民権を得てきたのかな。

コト消費が流行る土地の土壌は

リターンたる資産の見えない化が浸透した状態

かと思う。

限界効用逓減の法則というのがあるらしい。

財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分から得られる効用は次第に小さくなるという法則。

経験則がハッピーの物差しになる、経験至上観と言えるのかな。

そんなコト消費ですが2種に大別できるかと思うんです。

1.OMOIDE IN MY HEAD

記憶や体感ベースの資産ということです。

・バンジー

ボルダリング

・ナイトプール

etc…

リア充の権化アクテビティが多いな〜。

思い出inマイ ヘッド as the same 思い出in ユア ヘッド 。社会資本的な充足感。

2.Story in モノ型

物語消費って言葉を思い出しました。

友人の1人に、おしゃれ童子な女の子がいるんですよ。

彼女いわく、アクセサリーは戦闘道具。

コンセプトのリクエストから手作りアクセサリーでお小遣いも稼いでたりする。

彼女、ステキな腕時計をしてるんです。

聴けばそれはご両親の婚約指輪代わりの時計らしい。お父さんのを頂いて、ベルトは彼女仕様に取り換えたそう。

このストーリーを聴けば、腕時計のステキさもひとしお。永い永い時の流れを、ぎゅっと結晶にして時計に纏わせる感覚。すごくいいなと思った。

でもそれは、おしゃれ童子な友人が吹き込んだいのち。後天的なバリューなのです。

時計が生産された時からストーリーが息づいていた訳ではない。

なぜなら、ストーリーはパーソナルだから。匿名性が無いからこそ、具体が深く刺さる。生産過程でストーリーの個を均質化されちゃあ魅力が削ぎ落とされるってもんだろう。

でも!

メチャメチャ刺さってきたストーリーinモノを知ってしまったのです。

それは仕事で、クラランス宣伝部の方にブランドコンセプトをお伺いしたときのこと。いやこれが衝撃的で。文学のようなブランドコンセプトだったの。

クラランスの発祥は1954年フランス。

第二次世界大戦で負傷した人々をリカバリーする機能をもつスパから始まったそう。

太古の昔から生き残る植物の強さを科学し、人間に取り込むのが理念。

着眼点が面白いんです。

高速道路の脇で花を咲かせる植物の強さ。

3キロの重さに耐え太陽を向き続ける向日葵の茎のたおやかさ。

ファーミング EX ネッククリーム は、向日葵のこのエッセンスを配合しているそう。

これは首のリフトアップクリームとのこと。

なるほど、向日葵のたおやかさを首元に取り込むのですね。

これこそ、資本になり得るストーリーだと

思った。”売りモノ”に足るストーリー。均質なストーリーなのに深く刺さったなあ。

クラランスの全ての商品はこうした周辺ストーリーを持っているそう。

後付けではなく、開発過程で取り込まれたストーリー。

これも立派なコト消費だと、おもうのだよね。

ストーリー消費しに、百貨店行こうかな。